渚滑駅跡の次は,渚滑町をまわっていきます.
14:59 ちょっと外れたところ
ここをまっすぐいくと道都大学跡地の方にいけます.
15:00 名寄線が通ってたところ
名寄本線が通っていたところに痕跡がないかなと思ってみたら,明らかに木がなくて,ここを通っていたことがわかる場所がありました.廃線から30年ぐらいしか経っていないし,ずっと放置されていたみたいで,まだわかりやすいですね.
この地図の黄色いところが名寄本線の跡です.黄色い矢印が写真の向きです.
15:01 劇団海鳴り
15:02 稽古場
劇団の名前で検索すると,Facebookのプロフィールが出てくるのですが,現在でも活動しているようです.建物はかなりぼろいです.
15:02 稽古場のまわり
廃墟みたいな建物ばっかりだと思います.
15:03 降りていく
名寄線の跡を見たので,渚滑市街に戻っていきます.
15:05 渚滑基線
渚滑基線の山側と海側です.ここから上渚滑,滝上までの開拓が始まっていきました.550mごとに線を引き,順番に開拓していくため,地図で見ると,550mごとに線が見えます.
15:07 古川
渚滑川の河口付近は開拓初期は湿地帯になっていて,複数にわかれて海につながっていました.渚滑古川もその1つだったため,昔は渚滑古川も渚滑川の水が流れていたわけですが,現在では完全に分離しているため,渚滑古川はほとんど流れのない,静かな川になっています.
15:07 お地蔵さん
15:07 渚滑古川
まったく流れのない川です.大雨がふると氾濫しそうなんですが,大丈夫なんでしょうか.直接海に流れるのでなく,河口付近で渚滑川に接続しているので,渚滑川の水量が多いときはうまく水が流れていかないように思います.河口付近が遊水池みたいになっているという可能性はあります.
15:09 渚滑町の一番北側
交差点の名前が渚滑5丁目と渚滑7丁目の2つになっています.北海道ではよくあることみたいです.
15:12 セブンイレブン紋別渚滑店
15:15 烏龍茶
おちゃをかいました.
15:18 渚滑
基線の方へ戻っていきます.
15:21 名寄線の跡
ここにも名寄線の跡がありました.あきらかにこれだとわかります.道路が通っているところは埋められててわからなくなっていますが,それ以外のところは明らかに土が盛られていました.
15:23 天理教会と渚滑線
天理教の分教会の手前の崖の下に渚滑線が通っていたようです.
15:24 天理教渚滑分教会
ようきぐらしを実践しているようです.地域のいろんな分教会とつながりがあるようです.
15:26 威徳寺
浄土真宗のお寺です.
15:27 おてら
15:28 渚滑中学校
威徳寺の外に出ると,奥には渚滑中が見えました.
15:30 貨物
コンテナっぽいものがあります.鉄道貨物関連の企業があったのかもしれません.
15:30 渚滑神社
渚滑神社の鳥居は紋別山の方を向いています.実は紋別山周辺の神社の鳥居は弁財天を祀る厳島神社を除きすべて紋別山の山頂の方を向いています.紋別山の存在感は信仰の対象として非常に適している印象を受けます.
15:31 渚滑小学校
15:31 線路
小学校の敷地の中に国鉄渚滑線が通っていたみたいです.すこしだけ線路を残しているみたいです.
15:32 渚滑小学校
小学校
15:33 忠魂碑
日露戦・世界大戦の戦没者の忠魂碑です.
15:34 手本は二宮金次郎
二宮尊徳像です.こういうのが小学校にあるのは大変いいことだと思います.
15:40 郵便局
15:41 天理教会
天理教の分教会はたくさんありがちです.天理教の人の家が分教会になりがちなので,なんかよくわからんけどたくさんありがちです.
15:43 旧郵便局
今は使われていない郵便局の跡です.
15:44 渚滑駅跡
渚滑駅跡地にもどってきました.渚滑地域をまわってきました.これから紋別市街に戻っていきます.
つづき
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